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79年生まれ:男:翻訳業(英語/TOEIC 965、西語/習得中):個人事業主:サッカーオタク(Westham Utd):元IT業:フィリピン・イギリス滞在などの海外生活を経て、日本で翻訳を中心に色々やってます。ご連絡はこちらまで。an.office■plus-ultra-plus.com(■を@に変えてください)

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【連載】2001年イギリス留学記・その3

      2015/09/21

ホストファミリーの家で一泊して、次の日の朝。
緊張からかめちゃくちゃ早く目が覚めた。
「グッドモーニン」
とか何とかいって、焼いてもらったトーストをかじりながら
学校への道順を紙に書いてもらう。
 

通学路4月帰り(↑最短の通学路は街頭もなく夜真っ暗になった。最初はあせった)

不安そうな顔にみえたのか
初日は車で送ってもらうことになった。
はじめての国で
右も左もわからなかったからすごくありがたかった。
(ちなみに帰りはレンタル自転車で自分で帰ってきなさいねと言われ、案の定かなり迷ったが、あたりが暗くなるころなんとかたどり着いた)
 

初日に運のいい出会いが

学校に着くとそこは歴史のありそうな建物で、ツタが外に這っていた。
DSC00003(↑学校の写真は残っていなかったけど、こんな感じの建物だった)
 
その語学学校は週に一度クラス編成をするところだった。
短期受け入れをする語学学校なので、最短で一週間だけ授業を受ける人もいた。
 
白人のおばあちゃん風の校長先生に会い
キレイな赤じゅうたんの事務室に通されてそこで試験をうける。
英語の実力がどんなものか見て、
最初に入るクラスを決めるためだ。
ぼくは事前準備もしていなくて、
当然一番下のクラスに入ることになった。
 
試験が終わり、
円卓のある多目的ルームのようなところに移動すると
そこにはすでに5人くらいのアジア系男女が座っていた。
 
彼らはぼくと同日に入学する、
クラスメイトになる人たちだった。
そして、これはぼくにとってとても運のいい出会いであった。
年のころも16~25くらいで
みんな気の合ういい感じのやつらだった。
 
ぼくの英語学習のスタートダッシュは、
彼らとでなければうまくいかなかったかもしれない。
 

一番下から這い上がれ

語学学校の授業は
一番下のクラスだけあって基礎の基礎から入ったが、
それがぼくにはとても合っていた。
 
なにしろ高校のとき
英語の授業はほぼボイコットしていたので、
基礎がボロボロだったのだ。
(そして基礎とはいいながらも先生はイギリス人で、授業の言葉も配られるプリントも当然全部英語で刺激的だった。特に最初は辞書が手放せなかった)
 
ありがたかったのはクラスメイトの存在。
その中でも特に気の合うやつら3人と、
ぼくはいつもいっしょにいることができた。
 
日本人で5つほど年上の男性で、
大学院を卒業して大手企業に入る前に英語の勉強に来たH君。
 
弱冠16歳なのにたった一人で留学に来た、
中国のイイとこのおじょうさんCちゃん。
 
19歳のタイの女の子、
ぼくらのなかでは一番英語が上手かったPちゃん。
 
そして英語嫌いからの卒業を目指すぼく。
 
この4人は人種は違っても、
なんとなく空気が似ていたような気がする。
 
ちゃんと人の話をきいて
何か笑わせようとしたり、
自分の国のことを伝えようとしたり。
 
だから毎日お昼や放課後に、
彼らと話をするのが楽しくて仕方がなかった。
 
まったくヒドい英語で、
えーとえーと、と辞書を引き、
発音が通じないときはノートに書きながらではあったけれど。
 
そんな素敵な友人に恵まれ、
「明日はこれを言ってやろう」
「昨日はああいえば伝わったのか」
「あの時あいつはあれが言いたかったのか」
と毎日自然と考えることができた。
 
モチベーションと毎日の授業が完璧にリンクして、
次の放課後の会話に活かすことができる。
 
そのときのぼくは、
乾いたスポンジが水を吸うように言葉を覚え、
勉強の喜びの一番原始的な部分を味わっていた。
 
そして一ヶ月も経ったとき、
ぼくはとりあえず辞書を見ずに自分の意思を伝えられるようになってきていた。
 
そしてその頃、
日本人の先輩H君が予定していた授業を終え
帰国することになる。
 
彼は仲良し4人組の中で一番年上で
頼れる存在だった。
「ぼくが帰ったあと、君らの関係のバランスが崩れちゃわないか心配だな」
と心配してくれた。
 
残念ながら、彼の心配はそう時間が経たない内に現実のものとなってしまう。
それは、連載の後半に書きたいと思う。
 

極端な日本人もいた

 ぼくの周りにいる留学生は国籍を問わず、
基本的に皆仲良くしていて環境に恵まれているなと思っていた。
 
でも時々、ん?と思わせる人もいた。
 
たとえば、
「日本人としかつるまない日本人」と、
「日本人と一切つるまない日本人」。
 
前者はけっこう年上の日本人女性だった。
授業が終わるといつも、
他の日本人女性数人を誘って自転車で街に繰り出していた。
 
そこに外国人が混じっているのを見たことがないし、
彼女ら同士で英語をしゃべっている風にも見えなかった。
 
彼女らが自転車で去っていく様子は
完全に「日本」の空気。
もちろんそこでしかできない楽しい話や、
重要な相談もあったのかもしれないが。
 
せっかく海外にいて周りはイイやつばっかりなのに、
コミュニケーションをとらないなんて
もったいないことをしているなぁ、と思った。
(ぼくが彼女と日本語で話しているときはシャイな感じもしなかったので、余計にそう思う)
 
逆に後者の、日本人を拒否する日本人。
 
これはぼくと同い年くらいの女性で、
ちょっとメイクがきつめのイケイケ風。
彼女はフランス人男性のグループと仲がいいらしかった。
 
ある日学校のパーティで皆が盛り上がっていて、
サウジアラビア人の友達が
「日本語の挨拶を教えてくれ!」
とぼくにいうので
当時大はやりしていた香取慎吾の「おはー」を
手を広げるフリ付きで教えてあげた。
 
彼の「おはー」はケッサクで、
何回教えても発音が「オアー」「オアー」となっていたので
みんなで爆笑していた。
 
ウケているのに気をよくした彼は
フランス人のグループの中で話をしているその日本人女性をみつけて
「オアー」
といった。
ぼくは横でウケていた。
 
そうするとその女性はマジ切れしながらぼくに
「私、イギリスに来てまで日本語しゃべりたくないんですけど」
と日本語で言って
フランス人のグループに帰っていった。
 
ポカーンとするぼくと、
「オアー」のままで心配そうな顔をする彼だけが取り残された。
 
日本語がしゃべりたくなければ、
英語でその「オアー」の説明をしてあげればいいじゃないか、
と当時ぼくは憤っていた。
 
15年たった今にして思えば、
彼女はフランス人の男たちとイイ感じのときを邪魔されて
怒っただけなのかも知れないと思う。
 
でも、それにしてもコミュニケーションの拒絶の仕方が酷いなあと
思った瞬間だった。
 

 - イギリス, 海外生活, 英語

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