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79年生まれ:男:翻訳業(英語/TOEIC 965、西語/習得中):個人事業主:サッカーオタク(Westham Utd):元IT業:フィリピン・イギリス滞在などの海外生活を経て、日本で翻訳を中心に色々やってます。ご連絡はこちらまで。an.office■plus-ultra-plus.com(■を@に変えてください)

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【連載】2001年イギリス留学記・その6

      2015/09/21

ホストファミリーの家を出ることを決意したぼくは、
一人暮らし用の部屋を探して友人や先生に聞いたり
自転車で街をあてもなく探した。
 
しかし、なかなか
「外国人が」「短期で」
借りられる場所というのは見つからないし、
あってもめちゃくちゃ高い。
(日本でも最近はウィークリーマンションなど選択肢は増えているが、普通の物件では大家さんはいい顔をしないと思う。メンテナンス大変だし)
 
もうホストファミリーの家に世話になるしかないのか・・・
諦めかけたその頃
ショッピングセンターの横にある、
イギリスにしては近代的な建物の大学の寮の窓に張り紙を見つけた。
 

一枚の張り紙が希望の光

その頃は7月初旬だったと思うが、
大学の授業が始まる9月まで部屋が空くので格安で貸す、と言うのだ。
 
家賃は確か、ホストファミリーの家に住むより安かったと記憶している。
すぐに張り紙の電話番号に電話をかけ、
サウジアラビア人の学生から部屋を短期間借りることになった。
鍋米2おにぎり↑(共用キッチンで米を炊いてみた。火加減がわからずモチモチに)
 
その寮は、それまでの窮屈な暮らしに比べれば天国のように快適だった。
 
5階建ての立派な鉄筋コンクリートで、
オートロックの玄関。
 
キッチンはフロアごとのシェアだったが、
各部屋にシャワーとトイレが備えてある。
それだけでとてもプライバシーが守られた気分で、
気楽だった。
 
さらに、当時インターネットはネットカフェに行って使う以外方法がなかった
(時代を感じるなぁ)
が、部屋でノートパソコンをつなげばネットが使えたのだ!
さすが学校の施設。
 
ぼくのイギリスでの一人暮らしは最高のスタートを切った。
 

ホームレスになりかける

快適な暮らしをのびのびと謳歌していたが、
一番の懸念は9月以降の暮らしについて。
 
入居してから空き部屋を見つけようと思っていたところ、
その寮の管理者は
「年間契約じゃないとダメ」
とにべもない。
(考えてみれば学校の寮だから当たり前だが)
 
8月も半ばになって焦って情報収集したが、
結局退去の日まで次の部屋が決まらず、
スーツケースを持って途方にくれていた。
 
このままじゃホームレスになってしまう。
 
しかし当時お付き合いをしていた人がホストファミリーの家に泊まっていて、
そこにお願いして急遽転がりこませてもらった。
結局4~5日お世話になったが、
急な話でさぞ迷惑だったろうと思う。
 

家は見つかれど安定しない暮らし

さすがにそんな状況でいつまでも厄介者になるわけにもいかない。
町中を探していると、
ちょっと治安のよくないといわれている通りの、
中華料理屋の2階に空き部屋ができると張り紙がしてあった。
 
お値段もまぁまぁ納得がいくところで、そこに決めた。
 
その中華屋の2階は1カ月更新という契約をしていたのだが、
そこのオーナーの都合なのか次の更新で家賃の値上げを宣言された。
 
貧乏学生のことなので、受け入れず次を探すことに。
この時点で、イギリスに住んだ家は
ホストファミリーを入れて5軒目を数えた。
 
次の家はイギリス人の学生たちとハウスシェア。
しかし隣のベッドルームのやつが
10畳くらいの部屋にDJの装置を持ち込んで、
その部屋に夜な夜な怪しげなやつらが集っていた。
 
最後はその部屋に出入りしていた男女4人グループがぼくのサイフを盗み、
こんなところにはいられないと次の部屋を探す。
6軒目。
 
日本人の友達が借りていた家の、
空いているベッドルームを短期間借りて次へ。
7軒目。
 
また治安のよろしくない通りのはずれにもどってきたが、
オーナーが洗濯機の修理をやるやるといってやらないことから、
最終的ににらみ合い・つかみ合いのケンカになってしまい次へ。
 
このトラブルのときに学校の資格試験があり、
精神的にボロボロだったことを思い出す。
ここが8軒目。
 
次はロシア人・香港人の学生とのハウスシェア。
その頃は真冬になっていたが、
だれもガス代を払いたくないと言って
極寒のイギリスで暖房なしの生活となる。
(セントラルヒーティングだからぼくが払うと全員に使われてすぐガスがなくなる)
 
暖は毛布とウイスキーでとり、電気ポットでお湯を沸かし、
そのお湯を水で埋めて髪を洗う、というなかなか悲惨な生活で、
ここでクリスマスを迎えた
その後出て行くことになり9軒目。
 
1月になり、
貧乏ながらもヨーロッパ各国が近いので
色々なところに旅行に出かけた。
 
その前後に借りた家が最後のところで、
トラブルもなく最後の数ヶ月を過ごすことができた。
 
ここで10軒目である。
 

タフな経験で大きくなった?

今思い返すとなかなかタフな暮らしだったと思うが、
当時はたとえ極寒の中や空腹でも、
あまり悲壮感もなく楽しく暮らしていた。
 
逆に日本ではとうてい経験できないようなひどい暮らしぶりに、
ハイになっていた気もする。
 
ぼくは世間知らずな日本の学生だったが、
そんな環境を生き抜いて少し強くなれたような気がしていた。
 
さて、次回はヨーロッパ旅行についてすこし触れてみたいと思う。
 

 - イギリス, 海外生活

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